
|
州電力の社員さんたちなんですが、やっぱり転勤で出て行ってしまうんですが、その人たちも戻ってきて一緒になって練習して石垣に行きまして、今は各地で活躍しています。
先ほどおっしゃったように、そういう芸能同士の交流とか、そういうものも自分の村のものをほかのところの人にみてもらうんだという一つの励みになるようですね。
中坪委員 今、「ウチナンメロディー」といって、沖縄の歌がかなりいろいろなところで行われていますよね。あれは結局、いろいろなお祭り、ふだんの生活の中で芸能が息づいているからだれも歌えるし、三味線を弾けるし、どんな村に行っても必ず歌は聞こえてくる。
そうすると、戦後、アメリカ軍が来ても真っ先に復興したのは歌や踊りなんです。それで、ご承知のように「かんから蛇味線」といって、アメリカのパイナップルの缶で三味線を弾いて、まず経済復興よりも歌の復興から始まってしまったんですね。その後ずっとアメリカ軍が広範囲に占領していても、祭り、芸能だけは全然変わらないんです。それが、異文化が来れば来るほどますます民俗芸能と歌や踊りが盛んになるし、今までも踊りの研究所は掃いて捨てるほどありますし、何かいろいろな集いがあっても終われば必ず踊り出します。こういう島というのは世界に例がないんではないかなというぐらい……。
鈴木委員長 那覇にある博物館の中に三味線が1本飾ってあるんですが、これは沖縄の戦後の廃虚の中で一人のアメリカ兵が偶然みつけたんです。そして、それを本国に持って帰って大切に保存して、そして沖縄の人のためにと返してきた三味線なんです。それが一丁入っているんです。それは占領のために沖縄に来て、沖縄の人たちがやってくれた、今お話しのそれがアメリカ兵の心を大変打ったらしいんです。で、沖縄のふるさとに返そうともってきた三味線なんですね。
津田さんの場合でも、そうした境目を超えた芸能、観光の分野というのはそうですよね。
津田委員 今のお二人の話を伺って、先ほどNHKで放映するとみんながやる気になる。それから、発表の場があるとか何かないとやる気が出ない。そういう発表の場をまず設けてあげるということも非常に大事だと思うし、文化というのは心のゆとりだと思うので、やはり自分に心のゆとりもないのに、伝承しよう、保存していこうというのはおこがましいので、まず自分みずからも心のゆとりをもつようにしなければいけないということをいつも感じています。
鈴木委員長 そこのところはとても難しいんですが、私の例を話しますと、今の波野村の隣に長陽村というのがあるんですが、ここにも徹夜でやる岩戸神楽三十三座がありまして、私、これも全部復元して私のところで上演したんです。お能をお神楽の間に挾みまして、お能とお神楽というのは兄弟分みたいなものですから、お神楽を一座やると、次の座との間にお能を上演していくというやり方をやりまして、これを全部復元しまして、長陽
前ページ 目次へ 次ページ
|

|